play the music
ワールドミュージック

ロック/ワールドミュージック/プログレ/フォークロック/アイリッシュ、ケルト音楽/ニューエイジ/ロックバー/ミュージックバー/札幌/すすきのetc

ワールドミュージック

Live in Sevilla / Nightnoise

ほお。

こんなライブなんだ。






Pastures of plenty / Solas

こういうノリはたまらないな。

歌もいいし。

バンドの形でやってみたい。

 

 

At The Races / Nightnoise

おおお。

ドラムと重いベースを入れてやってみたい。

というよりやろうっと。

 

 

ドーナル・ラニー率いるボシー・バンドで活動していたミホール・オ・ドーナルは、アメリカのオレゴン州ポートランドに渡り、アメリカ人ヴァイオリニストのビリー・オスケイと共にナイトノイズを結成。ウィンダム・ヒル・レコードとの契約を得て、1984年にデビュー。その後、ブライアン・ダニングと、ミホールの妹トリーナ・ニ・ゴーナルが加入し、セカンド・アルバム『Something of Time』(1987年)以降は4人編成のバンドとして活動。

『The Parting Tide』(1990年)を最後にビリー・オスケイが脱退し、後任としてスコットランド人のジョニー・カニンハムが加入。これにより、ナイトノイズはメンバー全員がケルト人となり、音楽的にもトラッド音楽からの影響を取り入れていった[1]。また、かねてよりナイトノイズのファンであった遊佐未森のミニ・アルバム『水色』(1994年)に、4人全員がゲスト参加。

1996年、ジョニーを除く3人がアイルランドに帰国。その後、帰国直前のライヴを収録した初のライヴ・アルバム『The White Horse Sessions』を発表。ヴァン・モリソンのカヴァー「ムーンダンス」も含む内容で、結果的には、同作がナイトノイズ最後のアルバムとなった。また、北アイルランド出身のジョン・フィッツパトリックが、ジョニーの後任として加入[2]。帰国後のバンドは、遊佐未森のアルバム『roka』(1997年)へのゲスト参加や、テレビ番組出演などの活動を行うが、アルバムはリリースされなかった。

2003年、ナイトノイズは解散[2]。中心人物のミホール・オ・ドーナルは2006年に死去。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8E%E3%82%A4%E3%82%BA 

Habibe / Big Blue Ball



トラッドな感じがたまらない。

 

Silky Flanks / Nightnoise

ツボ。

一瞬プログレかと思った。





【ちょっとプログレッシヴな気分で。】
タグクラウド
最新コメント
最新トラックバック
Sing Out / 山口孝司 (【ロックだけが音楽じゃなかった】)
繋がる命 / 山口孝司
  • ライブドアブログ